車を運転するのは、危険と隣り合わせ
一人で車に乗って高速道路の走行車線を走行していると、前を走るセダンタイプの車に追いつきました。
追い越し車線が空いていて、追い越し可能な区間だったので、追い越しながらセダンタイプの車をチラリと見ると、覆面パトカーでした。
抜いてすぐに覆面パトカーの前に入って、制限速度でずっと走り続けました。
しばらくすると、覆面パトカーは、サービスエリアに入っていきました。
あわや事故
夜一人で車に乗っていて、赤信号で停車しました。
疲れていて、少しぼーっとしていました。
ふと青信号になったと思って、ブレーキペダルを離し、アクセルペダルを踏みました。
するすると車は前に進んでいき、交差点に進入する直前、目の前を車が通過していき、びっくりしてブレーキペダルを踏みました。
びっくりして冷や汗をかき、信号を見ると、まだ赤信号でした。
なぜ青信号と思ってしまったのかはわかりません。
疲れていた、ぼーっとして視線を外し、そのまま信号をしっかり見ないで、もう信号は変わったと思い込んでしまったのかもしれません。
それ以来、疲れていてもしっかり信号を見るように心がけ、視線を外したら、視線を信号に戻して確認しなければと思うようにしています。
今週のお題「人生最大の危機」で、車に乗っていたときの危機を思い出しました。
事故になりかけた危機は、今思い出してもぞっとします。
誰にも起きて欲しくない危機
もうすぐ生まれてから48年になりますが、48年間生きているなかで最大の危機は、こちらの記事にも書いた、10年前の「事件」にあったときです。
ajya.hatenablog.jp
富士ハウス
10年前の「事件」にあったとき、どうすればいいのか本当に迷いました。
先に支払ったために預金が少なく、この先どうなるんだろうという状態でした。
なにもできず、このまま放置するしかないのかも…なにも出来上がっていないのに、借りたお金を返すなどという状態になるのかも…という想像が頭の中をよぎりました。
今このように書いていられるのも、当時はまだ結婚していなかった現在の妻が支えてくれたおかげです。
妻本人は忘れているのでしょうが、あのときに言ってくれた一言は、10年経っても僕は忘れていません。
妻がいなかったらどうなっていたのか、全くわかりません。
最悪の選択をしていた可能性すらあります。
今週のお題「人生最大の危機」で、10年前の「事件」当時の状況を思い出しました。
思い出すと心が苦しくなります。
未だ影響を受けているためでもありますし、普段は忘れている許せないという思いが出てくるからでしょう。
「事件」という書き方からの脱却は、一生できないのかもしれません。
6歳4か月になりました
子どもが生まれて6年と4ヶ月です。気づいたことや出来事を書いていきます。
- ピアノ演奏会に出演しました。
最後まで間違えずに弾いていました。
- 住んでいる地区の夏祭り、保育園で仲良くしている子の住んでいる地区の夏祭りに行きました。
地区ごとに内容に違いがあって面白いです。
ajya.hatenablog.jp
ajya.hatenablog.jp
- 夕涼み会が台風が接近する中開催されました。
荒天の中だったので足元が大変でした。
- お泊り保育がありました。
班長に選ばれたと喜んで報告してくれました。
寝られないとか寂しいとかもなく過ごしてくれました。
- 庭で花火を2度楽しみました。
2度とも風があってろうそくの火が消えてしまいたびたび中断していました。
大きな花火が残っているので、この夏に楽しみたいです。
- 最近は保育園に早く行きたがります。
長く遊べるというメリットに気がついて、早く行きたいと言っているようです。
- 保育園で個別懇談会がありました。
普段の様子とお泊り保育の班長に選ばれた理由、次の発表会での楽器について話してきたそうです。
- プールで顔付けできなくてお風呂で練習しています。
鼻の先はつけられますが、鼻に水が入るかもしれないと気になって、つけられないと言っています。
鼻から吸わなければならないよと言っても、なかなかできないです。
- 起きるとのどが痛いといい、トローチをなめて保育園に行き、帰ってくるとなんともないというのが何度もありました。
風邪ではなく、エアコンによる乾燥の影響のようです。
- 保育園でお昼ご飯を残すときがあります。
体調がわるいときは食べなくていいというときがありましたが、嫌いなものを食べないようするために残したようです。
保育園の先生が嫌いなものを残していると気が付いて、指導されて食べたそうです。
知恵がついたなと感心しました。
9月の敬老会に向けて歌と楽器の練習をしているのを、家でも披露してくれます。